私は剛くんに出逢ったときに一度死んで生まれ直したんだと思う。そして今二度目の死と生まれ直しに対面した。
(一度目の生まれ直しについては前回の、剛くんが私の全ての人生だった最後の時間を残したくて書いた「剛くんは、人生の希望だった。」で触れたと思います)
話は少し変わりますが、一度関係性の話をしたいと思います。
剛くんはアイドルとしてもアーティストとしてもファンとは、かなり特殊な関係性を持っていたと思うんです。
多分、本当に多分ですが、私が感じる限り、剛くんのファンは 人柄、人生 が好きという人が多数なんじゃないかな〜〜〜と…
近年は剛くんの音楽が1番好きというファンもかなり見かけるようにはなりましたが、剛くんの人柄ありき、人生ありきの人はまだまだ多いと感じています。
(依存しないで。と言われていたことも知っていますが、依存に支えられた人気は大きかったと考えています。)
なぜかって、剛くんが優しくて、絶望や痛みや苦しみに寄り添って、同じ辛さを生きてくれるから。
剛くんは苦しみを過去のものとしてではなく、リアルタイムのものとしてくれて、かつ愛という不安定なものをずっとくれる人だったんですよ。
私のような、剛くんを神様のように、命綱のようにしてしまうひとも少なからずいたと思います。少なくとも私はそうでした。
だから多分何に関しても他のどのアーティストのファンとも、私たちの取るリアクションは違うものになる。
こういった関係性は、この言葉を使っていいかはわかりませんし、これを公開する怖さもなくはないです、まあ私の場合なので書きますが、
私は、過去の私を振り返ってあれは信仰だったと言えます。
そしてその分純粋でした。私の逃げ場は全て剛くんでした。
だから今回苦しみを過去のものにして次のステージに進み、同じ絶望を生きてくれなくなった剛くんを見ることで、もともと2人しかいなかった日の登らない絶望の夜にいきなり1人置き去りにされたように感じる人がいるのもとても理解できるんですよね。
だって
全てに絶望していた人間の、それも唯一の命綱を神様自身に断ち切られてしまう
そんなようなものです。
辛くないわけないですよね。
私も、そんな気持ちだったと思います。なんならもっと禍々しい感情を抱いてしまっていたかもしれません。
(もちろん今はそんなことないし、攻撃するなんてもっての他だと思います。)
でも、ここで考えてほしい。
もし、環境に今より恵まれていなかったら。もし、充実とは程遠い人生を今も送っていたら。
そう考えると、私が今剛くんの幸せを頑張っているにしても祝えているのって本当に偶然にすぎないんですよきっと。
他人の幸せを祝えるのって、ある程度整った環境で育ったか、今の時点で人生が充実しているか、よほど人間ができている。
そういう人間の特権なんじゃないでしょうか。
表ではおめでとうと頑張って祝福してる人は多かったように私には見えました。
そんな中の翌日のらぶみ。
剛くんは今までプライベートをあまり明かさない、具体的な名称をだして多く語ることが少ない人だったから、ファンも強く反応したんだと思う。
確かに普通の、ライト層くらいの人が見たら本当にただ普通なんだと思います。でも、今までの剛くんを見てきた私たちにとって、剛くんがこの文章を私たちに渡したことはとっても大きなことだったんですよ。
今まで曖昧だった境界線が、はっきりしてしまった。
ここ数日のファンの反応には、今まで剛くんとファンが築いてきたものが表れていると思います。
そして今、そういうファンは心からお祝いするために、気持ちに区切りをつけようとしているところ。その今まで築いてきたものを過去として受け止められるように。
美しい過去としてしまっておけるように。
だからファンと剛くんだけのFCという場所を信じたい。ファンそれぞれが剛くんと築いてきたものを、私で言えば信仰を、
どうかそっとしておいてほしい。
たとえのぞいてしまったとしても。
私が信仰というワードを出したのはこういうことなんですよね。現実世界で他人の信条に口を出すことってそうそうないんじゃないでしょうか。現実世界で異文化を否定することもそうそうないんじゃないでしょうか。剛くんが世界そのものって、こういうことだと私は思っています。
そしてそれぞれの築いてきたものは当人にしかわからないから、私にも私のことしかわかりません。
ただ私は、剛くんが人生の全てじゃない私は記憶に残っていないから、剛くん=私、という曖昧以上の自他の境界の中でしか生きられない私しか知らなかったんだよね。私自身が。
私が剛くんに求めていたのは推しとしてでもアイドルとしてでもなく、救い、神様としての剛くんでした。
だから剛くんが苦しみから解放されて同じ地獄を生きてくれなくなり、結婚するということで普通の男性だと突きつけられた、剛くんの望むファンではないと本人に切り捨てられてしまった今、私はもうついていけない気がするし、急に初めましての自分と出会ったことが私は怖くて戸惑ってたみたい…ってことに気づきました。
考えてみればそりゃそうだよね。今まで何年もいたはずの自分が急に消えてなくなって知らない自分が私の大部分を占め始めたら、私の脳みそも混乱しちゃうよね。
事実、今私はついこの間書いた自分の文章を見返しても客観的に振り返って納得はできても全く共感も理解すらできません。
まるで別人です。
そうして初めましての自分が大部分を占めたとき、私の少女は死んだ。小学生から成人まで過ごした命は死んだ。と思ったんです。
しかもそうしたらびっくりするほど自分の気持ちが腑に落ちたんですよね。落ち着きもしました。「今までありがとう、さようなら、これからもよろしくね。」それが素直な気持ちでした。
こんな感じで私は二度目の死と生まれ直しに対面していきました。
一応言っておきますが、これは決してマイナスなことではなくて、むしろ次のライフステージにたどり着くために私にとって欠かせないシーンです。
私の今までは剛くんに依存していたから、これからは剛くんの望んだような、剛くんに依存しない、自分の人生を生きることができる人間になれるんだなぁとか思っています。
これからは、私が私であるためでも、強迫観念でもなんでもなく、私は剛くんのことが好きでいられるんだなぁ。です。
でも、依存しないということは今まで通りにお金も落とさないし、現場にも無理して行かないと思います。でも"好き"です。
やっと健全な、剛くんの望んでいた推し方ができるのかなと思います。
こんなにまたダラダラ書いてしまったけど、私はもう二度目の死と生まれ直しを終えたし、
結局のところ、今も剛くんのこと好きです!もちろん命かけなくなっただけ変化はあるけど。剛くんにもらった人生を大切にします。
そしてここまで書いたことは全て「私の」感情や性格からのもので、私以外の何者でもないということをご留意いただければと思います。
剛くんに救われた人たちが、自分の人生を幸せに生きれますように。
追記
剛くんの人生を生きていた今までは、現実世界でなにがあろうとどこか他人ごとで、自分の人生を生きていないからあまり辛くない、辛くても無視できていたんだなぁ…ということを実感しています。自分の人生を生きるってこんなに苦しいんだ!って新たな発見です。