ゆく年くる年

主に自分のふりかえり用。

最近のあれこれ。私は見届けないと気が済まない。


今回の2件どちらも含めて、私の思うこと。思っていたこと。(感情の整理のために書いているので、同じ話をしていたり、多少変な文章でもスルーしていただけると助かります。)

私は私の感情を大切にしたいので、それを承知してくださる人のみでお願いします。

・2024/02/26のラジオを聴く前に書いた部分は今後自分で振り返るために修正せずに残しています。また、ラジオ後に書いたものを追記として載せています。

・2024/02/29以降の追記には色と追記した日時がついています。



こういう状況になっている時点で剛くんの行動はよくなかったと思う。タイミングも、言葉選びも含めて。

私は今は結婚も退所も全然してくれて構わないし、退所は、だろうな〜と思ったんですよ。
でもそれに伴う剛くんの行動はグループのファンや光一さん寄りのファン、元信者には優しくなかったと思いますよ。どんなにポジティブな解釈をしている人がいようと、不安に思った人が多いという時点で対応として良くなかったと思います。(この一連の件で少しも、一瞬でもモヤモヤすることが無いというのも、それはそれで危ないんじゃ無いかな…と勝手に思っています。)


タイミングについて、一つ目に関しては来年ではダメだったのか、光一さんの会見前、発表後初めてメディアの前に立つのが自分ではない、舞台が今年で幕を下ろすというタイミングだったところ。二つ目は前日に発表して自分だけがスッキリしている(戸惑うオタクもいる)のもあるけれど、グループとして発表をしたあとではダメだったのか。(グループとしての発表を待てなかったとしても他の対応がちょっとなぁ…)また、こちらも舞台のゲネプロや初日がこれからあるのに…というところ。


今回の退所の件で発表の場がwebだった(キンキのFCじゃなかった)のも個人的にはもやもやしているし(だって転職したら収入変わらなくても"言ってもらえなかった"という相手の不安をつくらないように報告するじゃないですか)、
光一さんが書いたようなことを剛くんが最初に書くべきだったと思うし、詳細は明らかにできなくても、もう少しグループにベクトルを向けた、意欲を出した文章は書けたのではないかということ。

(ファンの為、聞こえはいいけれど言い換えれば"意思はそこまでないけれどファンがいうから続ける"というふうに受け取る人もいるんじゃないでしょうか。〇〇の方が〜とか今まで聞いてきているから。私は少し違うけれど、あの文章には剛くんの意思の要素が私にはそこまで見えませんでした。剛くんの意思で、剛くんの責任で、剛くんの人生を選んで欲しい。後出しジャンケンであの時は〜と愚痴を語るのではなくて。)(←ここはラジオを聴いてかなり今回の件ではそうならなさそうだなと解消)


「本当の自分」発言が=「片方は本当の自分ではない」ということではないのだとしたら、言葉の選び方が良くないなと思うし、もしそういうことだとしても、それはわざわざ言うべきことなのかな…?と思います。
その発言で不安になったり戸惑ったり傷つく人がいることは想像に難くないでしょう。
そして、どれだけ趣味の延長だろうとビジネスとしての線引きは忘れてはいけないと思うので。
2024/02/29_02:31追記


それと同列に、剛くんは周りの大人〜とよくいうけれどあなたもいい歳した大人ですよ。と思います。
今回の言葉選びには傷つく人がいるし、元信者かつグループファンのわたしはいないもののように扱われていると感じてしまった。蔑ろにされていると感じた。新FCの文章は特に無神経だなと思いました。もっといい言葉を選べたのではないですか?推敲することはできなかったのでしょうか。剛くんにどんな意図があろうとなかろうと不安に思った人がいたのも、置いてきぼりにされたと感じた人がいたのも、傷ついた人がいたのも事実なんですよ。わざわざ無神経な文章を届ける必要はなかったのではないですか?

〜ここからの文章は元信者の私が少し続きます〜

私は剛くんの音楽よりも剛くんを好きでいた元信者だから余計に私はもう剛くんのいうみんなには入っていないと思いましたよ。

今回の言葉は、剛くんという人ありきで好きだったから今まで買い支えた人やグループのファンには優しくなかった。

あれだけ多くのアーティストに剛くんが羨ましいと言ってもらっていたから、日本で売れないジャンルをビジネスとして成立させられているのはどうしてなのかわかってくれていると思っていました。これは、剛くんの役に立っていたと、剛くんの支えになれていたと私が思いたいだけかもしれないけれど、もしかしたら全て承知の上で篩にかけたのかもしれないけれど。

私はLiveでの剛くんの話し方が超絶苦手だし、言葉選びは苦手なんだなと思っている(剛くんにそういう意図がないにしてもこの言葉選びだとそういう意図があると捉えられてしまうというような言葉が多いと思う)し、私は自分に合わない剛くんのメッセージを意識的に取りこぼしているところがある。愛の話とか。でも、それでも剛くんがソロのファンにはどれだけ言葉を尽くして自分の意思であることを説明しようとしてくれるか知っているからより辛かった。

さらに個人的には、こういった報告は句読点の代わりに改行するのではなく、一般的な文章で書いてほしいと思いました。

(そしてこれは本当に関係ないので、読まなくてもいいんだけど超個人的に、水素水〜とかが結構地雷なのと、剛くんは発言が矛盾することが多いと感じていて、今までも苦手なところは少なからずあったんですよね。服装だって、好きな服を〜と言いながらも剛くんは私たちに指定してるな、と思っていたし、愛は求めるものじゃないと言いながらも愛の形まで指定して求めてない?とおもってしまいました。剛くんは私みたいな信者のこと少し下に見てない?とも。同じ人間なのに、剛くんは私たちに〜すればいいのに〜というから。剛くんの考え方でいいときもあればそうでないときもあると思います私は。そんなこと承知の上で言ってるのかもしれないけど。私は怒りは自分の大切なものを守るために必ずなくてはならない感情で、怒ることが大切な場合もあると思っています。言ってることズレてるかもしれないけど….)こういった点で私は剛くんのこと苦手みたいです。多分私が剛くんほど長く生きていないことも大きいのでしょうが、それはどうしようもできないので…。()

仮にも元神様を呪いたくはないし諦めたくもないんですよ。それに好きな曲、たくさんあるんですよ。手放せないくらい大切で大好きな曲が。

でも信者だったから見ないふりしてた、受け入れられていたところがスルーできなくなってしまった。

依存しないでと言いながら依存させるような売り方するの、グロいなと思いつつ私も剛くんに縋って剛くんに私の人生を勝手に背負わせていたのでお互い様だと思っていたんだけど、そうじゃなかったみたい。

私は剛くんを神様にしたのではなくて、神様だった剛くんに出逢ったから、剛くんの方からこういう関係性を結んでくれているのだと思っていたし、今でもそう思いたいです。。

剛くんはどうしてこういう売り方をしているのかな。私にはもうわかりません。

それでも剛くんのことを神様にしていてそれが人生の全てだったときにはこんなに漠然とした人生への不安なんて一抹も感じたことなどなかったのに、と どうしても思ってしまう。
この期に及んであの依存とそれ故の安定が恋しくなる瞬間がある。

でももう信者だった二度目の人生はもうどうやっても取り戻せないから気持ちに区切りつけるしかないんだよね。

だから今は、ま、ソロは年一くらいで現場に行けたら良いかな、無理してじゃなくて元気なときに。くらいに思っておく。好きという感情や信仰が私からなくなっても、ここまできてしまったら、あなたを神様としてみれなくてもあなたを1人の人間としてでも最後まで見届けないときっと私の気はすまないから。私はそのくらい剛くんに人生をもらったから。(今までどんなスケジュールでも無理して行ってた…笑)

〜元信者としての文章終わり〜

それから、これは2人ともなんですが、グループ活動が受け身がちだなと感じるところもモヤモヤしてしまう原因です。
番組でも乗り気じゃないけど…は感じますが、番組ではそれでよかったんですよね、それがキンキだから。でも、キンキの活動すらファンが〜スタッフが〜と言って続けられても私は嬉しくないし、どれだけ本人たちが続けたいと思っていたとしてもそれは私にはたいして伝わってない。(だって2人の姿、インスタもXもあるのに全然見れてないし、それかもっと強い意志が見える文章が欲しい)というかそれでも不安になるくらいのことが起こっているから。もうちょっとわかりやすく仲良くしてくれると助かります。

本当に…それだけで救われる命がある(急なガチオタ)


年末年始のコンサートは? と言われるかもしれませんが、あのときとは状況が違いすぎませんか?光一さんは、あのとき結婚を知らない状態で続けたいと言っていたんですよ。状況が変われば変わる考え方だってあるでしょう。あのときは私だって信じていましたよ。あと、私は剛くんは結構その時その時で気持ちが変わる人だと思っているので。(これもラジオを聴いて今回の件、グループを続けるという点ではそんなことないなと感じた。)


普通にキンキに関してはコンサート映像みたら好き!って脳死で思っちゃうしもう遺伝子に組み込まれすぎて手遅れ。だってキンキって唯一無二じゃないですか。二人組でアイドルやるメリットなんて普通はないのに二人組であることに価値があるし私はどうしたって物語性を見出してしまうしたとえ二人組でもキンキにとって代われる運命を感じさせてくれる二人組、多分世界中どこ探してもいないんですよ〜!


私は2人の行く末を見届けなければきっと成仏できない。


以下、ラジオを聞いて追記。

まだ決まってないことを言えないことはわかるし詳細を言って欲しいとも思わない。でも光一さんが出した内容を剛くんが先に出すべきだったと思うし、あの文章は推敲する余地があったと思うし、もっと初めに言葉を尽くしてくれてもよかったんじゃないでしょうか。何を言われても新FCでの文章に無神経さを感じたことは変わりませんし、余計だなと思うことも変わりませんが、ラジオでキンキのファンにも説明をくれて、ひとまず私のキンキのファンとしての気持ちは少し落ち着いたかな。

あとはとにかく"ふたりで"の何かが欲しい。ふたりでのラジオ、ふたりで音楽以外でのYouTube動画、インスタ相互フォローでもなんでもいいからとにかく"ふたりで"の姿を見せて欲しい。あなたたちが仲のいい姿を見せてくれれば一瞬で解決することだってあると思うんですよ。

ここで硝子の少年を流してくれて、嬉しかったよ。キンキのこれからは、楽しみにしててもいいかもなって思ったよ。


↓こうした文章を表に出すことについての考え
https://x.com/endrestart0610/status/1762613430274633736?s=46&t=D8QTgval5eZj30h0H4GpIQ

二度目の生まれ直し

 

私は剛くんに出逢ったときに一度死んで生まれ直したんだと思う。そして今二度目の死と生まれ直しに対面した。

 

(一度目の生まれ直しについては前回の、剛くんが私の全ての人生だった最後の時間を残したくて書いた「剛くんは、人生の希望だった。」で触れたと思います)

 

話は少し変わりますが、一度関係性の話をしたいと思います。

 

剛くんはアイドルとしてもアーティストとしてもファンとは、かなり特殊な関係性を持っていたと思うんです。

 

多分、本当に多分ですが、私が感じる限り、剛くんのファンは 人柄、人生 が好きという人が多数なんじゃないかな〜〜〜と…

 

近年は剛くんの音楽が1番好きというファンもかなり見かけるようにはなりましたが、剛くんの人柄ありき、人生ありきの人はまだまだ多いと感じています。

 

(依存しないで。と言われていたことも知っていますが、依存に支えられた人気は大きかったと考えています。)

 

なぜかって、剛くんが優しくて、絶望や痛みや苦しみに寄り添って、同じ辛さを生きてくれるから。

 

剛くんは苦しみを過去のものとしてではなく、リアルタイムのものとしてくれて、かつ愛という不安定なものをずっとくれる人だったんですよ。

 

私のような、剛くんを神様のように、命綱のようにしてしまうひとも少なからずいたと思います。少なくとも私はそうでした。

 

だから多分何に関しても他のどのアーティストのファンとも、私たちの取るリアクションは違うものになる。

 

こういった関係性は、この言葉を使っていいかはわかりませんし、これを公開する怖さもなくはないです、まあ私の場合なので書きますが、

 

私は、過去の私を振り返ってあれは信仰だったと言えます。

 

そしてその分純粋でした。私の逃げ場は全て剛くんでした。

 

だから今回苦しみを過去のものにして次のステージに進み、同じ絶望を生きてくれなくなった剛くんを見ることで、もともと2人しかいなかった日の登らない絶望の夜にいきなり1人置き去りにされたように感じる人がいるのもとても理解できるんですよね。

 

だって

 

全てに絶望していた人間の、それも唯一の命綱を神様自身に断ち切られてしまう

 

そんなようなものです。

辛くないわけないですよね。

 

私も、そんな気持ちだったと思います。なんならもっと禍々しい感情を抱いてしまっていたかもしれません。

(もちろん今はそんなことないし、攻撃するなんてもっての他だと思います。)

 

でも、ここで考えてほしい。

もし、環境に今より恵まれていなかったら。もし、充実とは程遠い人生を今も送っていたら。

 

そう考えると、私が今剛くんの幸せを頑張っているにしても祝えているのって本当に偶然にすぎないんですよきっと。

 

他人の幸せを祝えるのって、ある程度整った環境で育ったか、今の時点で人生が充実しているか、よほど人間ができている。

 

そういう人間の特権なんじゃないでしょうか。

 

表ではおめでとうと頑張って祝福してる人は多かったように私には見えました。

 

そんな中の翌日のらぶみ。

 

剛くんは今までプライベートをあまり明かさない、具体的な名称をだして多く語ることが少ない人だったから、ファンも強く反応したんだと思う。

 

確かに普通の、ライト層くらいの人が見たら本当にただ普通なんだと思います。でも、今までの剛くんを見てきた私たちにとって、剛くんがこの文章を私たちに渡したことはとっても大きなことだったんですよ。

 

今まで曖昧だった境界線が、はっきりしてしまった。

 

ここ数日のファンの反応には、今まで剛くんとファンが築いてきたものが表れていると思います。

 

そして今、そういうファンは心からお祝いするために、気持ちに区切りをつけようとしているところ。その今まで築いてきたものを過去として受け止められるように。

 

美しい過去としてしまっておけるように。

 

だからファンと剛くんだけのFCという場所を信じたい。ファンそれぞれが剛くんと築いてきたものを、私で言えば信仰を、

どうかそっとしておいてほしい。

たとえのぞいてしまったとしても。

 

私が信仰というワードを出したのはこういうことなんですよね。現実世界で他人の信条に口を出すことってそうそうないんじゃないでしょうか。現実世界で異文化を否定することもそうそうないんじゃないでしょうか。剛くんが世界そのものって、こういうことだと私は思っています。

 

そしてそれぞれの築いてきたものは当人にしかわからないから、私にも私のことしかわかりません。

 

ただ私は、剛くんが人生の全てじゃない私は記憶に残っていないから、剛くん=私、という曖昧以上の自他の境界の中でしか生きられない私しか知らなかったんだよね。私自身が。

 

私が剛くんに求めていたのは推しとしてでもアイドルとしてでもなく、救い、神様としての剛くんでした。

 

だから剛くんが苦しみから解放されて同じ地獄を生きてくれなくなり、結婚するということで普通の男性だと突きつけられた、剛くんの望むファンではないと本人に切り捨てられてしまった今、私はもうついていけない気がするし、急に初めましての自分と出会ったことが私は怖くて戸惑ってたみたい…ってことに気づきました。

 

考えてみればそりゃそうだよね。今まで何年もいたはずの自分が急に消えてなくなって知らない自分が私の大部分を占め始めたら、私の脳みそも混乱しちゃうよね。

 

事実、今私はついこの間書いた自分の文章を見返しても客観的に振り返って納得はできても全く共感も理解すらできません。

まるで別人です。

 

そうして初めましての自分が大部分を占めたとき、私の少女は死んだ。小学生から成人まで過ごした命は死んだ。と思ったんです。

 

しかもそうしたらびっくりするほど自分の気持ちが腑に落ちたんですよね。落ち着きもしました。「今までありがとう、さようなら、これからもよろしくね。」それが素直な気持ちでした。

 

こんな感じで私は二度目の死と生まれ直しに対面していきました。

 

一応言っておきますが、これは決してマイナスなことではなくて、むしろ次のライフステージにたどり着くために私にとって欠かせないシーンです。

 

私の今までは剛くんに依存していたから、これからは剛くんの望んだような、剛くんに依存しない、自分の人生を生きることができる人間になれるんだなぁとか思っています。

 

これからは、私が私であるためでも、強迫観念でもなんでもなく、私は剛くんのことが好きでいられるんだなぁ。です。

でも、依存しないということは今まで通りにお金も落とさないし、現場にも無理して行かないと思います。でも"好き"です。

やっと健全な、剛くんの望んでいた推し方ができるのかなと思います。

 

こんなにまたダラダラ書いてしまったけど、私はもう二度目の死と生まれ直しを終えたし、

 

結局のところ、今も剛くんのこと好きです!もちろん命かけなくなっただけ変化はあるけど。剛くんにもらった人生を大切にします。

 

 

 

そしてここまで書いたことは全て「私の」感情や性格からのもので、私以外の何者でもないということをご留意いただければと思います。

 

剛くんに救われた人たちが、自分の人生を幸せに生きれますように。

 

追記

 

剛くんの人生を生きていた今までは、現実世界でなにがあろうとどこか他人ごとで、自分の人生を生きていないからあまり辛くない、辛くても無視できていたんだなぁ…ということを実感しています。自分の人生を生きるってこんなに苦しいんだ!って新たな発見です。

剛くんは、人生の希望だった。

はじめに、これは私の感情を整理するための殴り書きです。読むも読まないも自由です。自己責任でお願いします。

 

剛くんは私の希望だったから。振り返る用。

 

私が、これからの人生なんのために生きていくんだろう、働くため?なんのために働くのか、生きていくため?なんのために生きていくのか、死ぬため?なんのために人生を歩むのかに悩み、人間に絶望していた、自殺を考えていたあのころ、私は剛くんに出会った。

 

最初の出会いはラジオだった。

剛くんの語る愛はもちろん、世の中への想い、言葉がどれだけ当時の私にとって救いであったか。人間に絶望していたなかで、堂本剛という人間に出会えたのは運命で、奇跡だと思った。

 

こんなに腐った世界で生きていくには、この人しかいない。それが、わたしの出逢い。

 

「この世界で、こんなに綺麗なまま、人間を、世界を諦めないで生きている、腐らずに、不貞腐れずに生きている人がいるんだ!」

 

まさしく一筋の光、だった。

 

それまでの記憶もほとんどない。薬を飲んで死んだように眠るだけの日々を送っていた私にはその日のことだけが今でもありありと思い出せる。私は剛くんに出逢い、一度死んで、産まれ返ったんだ。そう思った。今でもそう思う。

 

その日から私は人が変わったように、剛くんを命綱に生きていた。当時、一年と少し後に受験を控えた私は、毎日のように塾に籠り、気が狂ったように勉強に明け暮れた。

夜は剛くんのラジオを何度も何度も同じ放送を繰り返し聴いてなんとか自分を保っていた。

毛布にくるまって剛くんのラジオを聴いたあの夜たちのおかげで今の私があると言っても過言ではない。

 

剛くんがいるから私は大丈夫。剛くんのこと今日も愛せてるな。だから大丈夫。剛くんのこと大好きだから、私は何があっても大丈夫なんだ。剛くんが今日も幸せでありますように。剛くんを明日も愛せますように。

 

そう思うことで本当の自分を押し殺す勇気も、本当の自分でいる勇気ももらっていた。

結果、私は中学、高校、大学と全て第一志望に合格、部活でもスポーツ栄誉賞をいただくほどにはがんばれていた。当時の私は、「剛くんのことが毎日大好きだから大丈夫」という無敵感に包まれていた。

 

そして、がんばれているからと自分のアイドル、アーティストとファンという関係には相応しくない、剛くんは私みたいな人間のことをいつも思ってくれているという、過剰な自意識から目を逸らしてここまで生きてきてしまった。

 

 

どれもこれも、全ては剛くんを好きでいられるから。

 

剛くんが、世界を愛を人間を諦めないでいてくれるから。

 

私の人生は、常に剛くんと一緒だった。

 

だから、私は今どうしたらいいかわからない。

 

去年の怒涛のファンク、そしてバラード。

 

「剛くんは私みたいなファンのこと忘れちゃったんだ。剛くんがこれから大切にしたいのは、私みたいな重いオタクじゃ無くて、剛くんのことが好きなオタクじゃ無くて、剛くんの"音楽"が好きで、ENDRECHERIが好きな人なんだ。」剛くんの幸せを心の底から願ってる人は剛くんに望まれてなくて、ライトな音楽ファンがいいんだって思って私はそう思ってしまった。

(今回の発表の文章を読んでも、剛くんは剛くんのことが好きな人じゃ無くて剛くんの音楽とかが好きなライトなオタクにベクトルを向けてるんだなって思っちゃった。)

でも、でもね、バラードがあったから。バラードがあったから剛くんのことまだ愛せるなって思ってた。

 

それに、正直なところ、祝えると思っていた。

心の底から祝えると思っていたし、今でも心の底から祝いたいと思うよ。

 

でもできなかった。

私が望んでいたものは剛くんの幸せではなかった。剛くんの人生の幸せを願えない私のことが心底嫌になる。

 

わたしは私に絶望している。

でも嫌いになることもできない。

 

うっすら去年から、もう私は剛くんのこと好きでいられないって気づいてたのかもしれない。その気持ちに蓋をしてただけなのかもしれない。

 

私は去年の平安さんが晴れたのが思いのほか辛くて、なんでだろうって思ってた。

 

考えてみれば、私は苦しみと一人で闘ってる剛くんが好きだから、剛くんは次のステージに行っちゃったんだなって、そこから少しもう心は離れ始めてたのかもしれない。それに気づかないふりをして生きていただけで。

 

私は剛くんのおかげで生きていられるから。

剛くんに出逢い救われ一度死んだ人間は、剛くんが人生からなくなってしまった瞬間に、消えてなくなってしまう。

 

私は、ここまで生きてきてしまったからには、死ぬという選択肢は取れない。死ぬには大事なものが多すぎるから。でも、剛くんのことを好きでいられない世界に生きている価値も感じられない。剛くんのことはこれからも、好きでいると思う。私が私であるために

 

こんなに虚しい好きという感情があるか。こんなに世界が灰色に見えているのに、私は愚かにもまだ剛くんのことが好きらしい。今はそんな気持ちだと思う。多分。

 

ただ今までと同じ熱量で好きかと言われたらわからない。みたいな感じ、もう何もわからない。(多分もう推しにはできないし、現場も行かない)

 

時間が経って感情を整理するうちに、私はもう剛くんから離れるしかないんじゃないかと思ってきた。

 

剛くんの結婚の発表の仕方は理想的だと思う。リークもなく、匂わせも無く、こんな結婚発表は理想的としか言いようがないと思う。でも私は受け入れられなかった。

 

だからもう何もわからない。

 

あれだけ剛くんに「依存しないで」と言われながら、それすらできていなかったのだから。

 

これは依存じゃなくて、執着だから^_^

 

とか思っていた私に教えてあげたい。

 

そんな愚かな考えは一分一秒でも早く捨てた方が良い。

依存に違いない感情ともっと早くに向き合っていれば、私は心の底から今回のことを祝えたのかな。

 

私は剛くんの幸せを祝いたかった。死にたい。

 

剛くんの雰囲気がここ数年変わったこと。概念的でない愛の歌が増えたことで、結婚の香りを感じてしまっていたこと。剛くんが変わってしまったと私が感じたことが嫌だったのかもしれない。

 

私は私の理想の、私が好きな剛くん像を剛くんに押し付けて好きだと思い込んでいただけなのかもしれない。

 

あれだけ命をかけて行きたかった平安への気持ちが薄れていて、動揺、怖さ、いろんな感情を今は吐き出したい。

 

剛くんの活動のために生きてきて、剛くんの現場に行けることを条件に学校も部活も進路も選んできたから私はこれからどうやって生きていくんだろう。何にも無くなっちゃった。

 

これから剛くんを好きだなと思う度に絶望したくなるんだろうなぁ。

 

いつか心の底からおめでとうと言えるのかな。(とか思ってたけど私の好きな剛くんはもうどこにもいない。苦しみを過去として受け入れた剛くんに今幸せな剛くんに命や苦しみを語られても響かないんじゃないか。怖い。)

 

以下光一さんインスタ投稿後追記

 

何も落ち着いてないけど、文章を読んで、2人の関係性がちょっとだけ変わったんだなって感じたけど、そこには何一つ絶望しなかった。

 

結局のところ私は剛くんに依存してただけだった。

今はちゃんと、自他の境界、もっと言えば自剛の境界がしっかり私の中にも持てるようになったなと思う。きっとこの方が健康な推し方なんだろうね。