ゆく年くる年

主に自分のふりかえり用。

剛くんは、人生の希望だった。

はじめに、これは私の感情を整理するための殴り書きです。読むも読まないも自由です。自己責任でお願いします。

 

剛くんは私の希望だったから。振り返る用。

 

私が、これからの人生なんのために生きていくんだろう、働くため?なんのために働くのか、生きていくため?なんのために生きていくのか、死ぬため?なんのために人生を歩むのかに悩み、人間に絶望していた、自殺を考えていたあのころ、私は剛くんに出会った。

 

最初の出会いはラジオだった。

剛くんの語る愛はもちろん、世の中への想い、言葉がどれだけ当時の私にとって救いであったか。人間に絶望していたなかで、堂本剛という人間に出会えたのは運命で、奇跡だと思った。

 

こんなに腐った世界で生きていくには、この人しかいない。それが、わたしの出逢い。

 

「この世界で、こんなに綺麗なまま、人間を、世界を諦めないで生きている、腐らずに、不貞腐れずに生きている人がいるんだ!」

 

まさしく一筋の光、だった。

 

それまでの記憶もほとんどない。薬を飲んで死んだように眠るだけの日々を送っていた私にはその日のことだけが今でもありありと思い出せる。私は剛くんに出逢い、一度死んで、産まれ返ったんだ。そう思った。今でもそう思う。

 

その日から私は人が変わったように、剛くんを命綱に生きていた。当時、一年と少し後に受験を控えた私は、毎日のように塾に籠り、気が狂ったように勉強に明け暮れた。

夜は剛くんのラジオを何度も何度も同じ放送を繰り返し聴いてなんとか自分を保っていた。

毛布にくるまって剛くんのラジオを聴いたあの夜たちのおかげで今の私があると言っても過言ではない。

 

剛くんがいるから私は大丈夫。剛くんのこと今日も愛せてるな。だから大丈夫。剛くんのこと大好きだから、私は何があっても大丈夫なんだ。剛くんが今日も幸せでありますように。剛くんを明日も愛せますように。

 

そう思うことで本当の自分を押し殺す勇気も、本当の自分でいる勇気ももらっていた。

結果、私は中学、高校、大学と全て第一志望に合格、部活でもスポーツ栄誉賞をいただくほどにはがんばれていた。当時の私は、「剛くんのことが毎日大好きだから大丈夫」という無敵感に包まれていた。

 

そして、がんばれているからと自分のアイドル、アーティストとファンという関係には相応しくない、剛くんは私みたいな人間のことをいつも思ってくれているという、過剰な自意識から目を逸らしてここまで生きてきてしまった。

 

 

どれもこれも、全ては剛くんを好きでいられるから。

 

剛くんが、世界を愛を人間を諦めないでいてくれるから。

 

私の人生は、常に剛くんと一緒だった。

 

だから、私は今どうしたらいいかわからない。

 

去年の怒涛のファンク、そしてバラード。

 

「剛くんは私みたいなファンのこと忘れちゃったんだ。剛くんがこれから大切にしたいのは、私みたいな重いオタクじゃ無くて、剛くんのことが好きなオタクじゃ無くて、剛くんの"音楽"が好きで、ENDRECHERIが好きな人なんだ。」剛くんの幸せを心の底から願ってる人は剛くんに望まれてなくて、ライトな音楽ファンがいいんだって思って私はそう思ってしまった。

(今回の発表の文章を読んでも、剛くんは剛くんのことが好きな人じゃ無くて剛くんの音楽とかが好きなライトなオタクにベクトルを向けてるんだなって思っちゃった。)

でも、でもね、バラードがあったから。バラードがあったから剛くんのことまだ愛せるなって思ってた。

 

それに、正直なところ、祝えると思っていた。

心の底から祝えると思っていたし、今でも心の底から祝いたいと思うよ。

 

でもできなかった。

私が望んでいたものは剛くんの幸せではなかった。剛くんの人生の幸せを願えない私のことが心底嫌になる。

 

わたしは私に絶望している。

でも嫌いになることもできない。

 

うっすら去年から、もう私は剛くんのこと好きでいられないって気づいてたのかもしれない。その気持ちに蓋をしてただけなのかもしれない。

 

私は去年の平安さんが晴れたのが思いのほか辛くて、なんでだろうって思ってた。

 

考えてみれば、私は苦しみと一人で闘ってる剛くんが好きだから、剛くんは次のステージに行っちゃったんだなって、そこから少しもう心は離れ始めてたのかもしれない。それに気づかないふりをして生きていただけで。

 

私は剛くんのおかげで生きていられるから。

剛くんに出逢い救われ一度死んだ人間は、剛くんが人生からなくなってしまった瞬間に、消えてなくなってしまう。

 

私は、ここまで生きてきてしまったからには、死ぬという選択肢は取れない。死ぬには大事なものが多すぎるから。でも、剛くんのことを好きでいられない世界に生きている価値も感じられない。剛くんのことはこれからも、好きでいると思う。私が私であるために

 

こんなに虚しい好きという感情があるか。こんなに世界が灰色に見えているのに、私は愚かにもまだ剛くんのことが好きらしい。今はそんな気持ちだと思う。多分。

 

ただ今までと同じ熱量で好きかと言われたらわからない。みたいな感じ、もう何もわからない。(多分もう推しにはできないし、現場も行かない)

 

時間が経って感情を整理するうちに、私はもう剛くんから離れるしかないんじゃないかと思ってきた。

 

剛くんの結婚の発表の仕方は理想的だと思う。リークもなく、匂わせも無く、こんな結婚発表は理想的としか言いようがないと思う。でも私は受け入れられなかった。

 

だからもう何もわからない。

 

あれだけ剛くんに「依存しないで」と言われながら、それすらできていなかったのだから。

 

これは依存じゃなくて、執着だから^_^

 

とか思っていた私に教えてあげたい。

 

そんな愚かな考えは一分一秒でも早く捨てた方が良い。

依存に違いない感情ともっと早くに向き合っていれば、私は心の底から今回のことを祝えたのかな。

 

私は剛くんの幸せを祝いたかった。死にたい。

 

剛くんの雰囲気がここ数年変わったこと。概念的でない愛の歌が増えたことで、結婚の香りを感じてしまっていたこと。剛くんが変わってしまったと私が感じたことが嫌だったのかもしれない。

 

私は私の理想の、私が好きな剛くん像を剛くんに押し付けて好きだと思い込んでいただけなのかもしれない。

 

あれだけ命をかけて行きたかった平安への気持ちが薄れていて、動揺、怖さ、いろんな感情を今は吐き出したい。

 

剛くんの活動のために生きてきて、剛くんの現場に行けることを条件に学校も部活も進路も選んできたから私はこれからどうやって生きていくんだろう。何にも無くなっちゃった。

 

これから剛くんを好きだなと思う度に絶望したくなるんだろうなぁ。

 

いつか心の底からおめでとうと言えるのかな。(とか思ってたけど私の好きな剛くんはもうどこにもいない。苦しみを過去として受け入れた剛くんに今幸せな剛くんに命や苦しみを語られても響かないんじゃないか。怖い。)

 

以下光一さんインスタ投稿後追記

 

何も落ち着いてないけど、文章を読んで、2人の関係性がちょっとだけ変わったんだなって感じたけど、そこには何一つ絶望しなかった。

 

結局のところ私は剛くんに依存してただけだった。

今はちゃんと、自他の境界、もっと言えば自剛の境界がしっかり私の中にも持てるようになったなと思う。きっとこの方が健康な推し方なんだろうね。